1972年、膀胱癌が発見され、1976年周恩来は北京の解放軍第三○一病院で死亡した[5]。彼の死後、文革によって苦しめられていた民衆が周恩来を追悼する行動を起こし、これを当局が鎮圧するという第一次天安門事件が起こった。また、その遺骸は本人の希望により火葬され、遺骨は飛行機で中国の大地に散布された。これらは生前に妻の鄧穎超と互いに約束していたことであった。四人組によって遺骸が辱められることを恐れたためと言う。周の葬儀には宋慶齢も参列した。
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1972年のニクソン大統領訪中のお膳立てをしたキッシンジャーは、周恩来を「今までに会った中で最も深い感銘を受けた人物」の一人に数え、「上品で、とてつもなく忍耐強く、並々ならぬ知性をそなえた繊細な人物」と評している。
国連事務総長だったダグ・ハマーショルドは「外交畑で今まで私が出会った人物の中で、最も優れた頭脳の持ち主」と証言している。
ノロドム・シハヌークはクメール・ルージュに苦しめられた経験などから反共主義者だったが、周恩来だけは高く評価していた。その理由を尋ねられたシアヌークは「だって、彼のほうが私よりよっぽど王族らしいじゃないか」と答えている。
『周恩来伝』を書いたジャーナリストのディック・ウィルソンは周恩来をケネディやネルーと比較して、「密度の濃さが違っていた。彼は中国古来の徳としての優雅さ、礼儀正しさ、謙虚さを体現していた」と最大級の賞賛をしている。
また、1954年以来チャーリー・チャップリンとも親交を持ち(ジュネーヴ会議出席の際、1952年からスイス在住であったチャップリンを訪ねている)、彼の作品の一つ「黄金狂時代」の名シーンであるチャーリーが靴を食べる場面を見て、長征の際の苦難を思い出し、懐かしがったと言う。